私の話をしようとおもう。他の誰でもなく私の事を。その5【母と父】

母親はまじめな人で、私が単位制の高校に行ったのも、専門学校に行ったのも、就職したデザイン事務所を7ヶ月で辞めてその後半年くらいニートしてたのも、SEXの件も、気に入らなかったんだろう。
というか、がっかりしてたんだと思う。

小学校の頃まじめでだったし、中学校でも一応成績は良かった。
小学校の頃クラスの問題児の面倒を見るようになぜか先生に頼まれたりしてた。中学校のころは300人くらい居る中でトップ10位に入る事もあった。
作文や工作で賞状だってもらったよ。
でもそんなの、社会生活ではなーんの役にも立たなかった。ビックリするくらい。ははは。

なんとか派遣で社会復帰して、事務補助→コールセンターではたらいてたよ時給で。
実家には毎月2万ずつ入れてた。確か。
で、20歳くらいから演劇に関わり始めて、一度関わり出すとのめっちゃって。徹夜で道具作って朝帰りしたり、深夜まで部屋でチラシ作ったりしてた。
母親は観に来てくれたし、差し入れでおかしくれたりしたから、一応理解してくれてんのやな~って思ってた。
公演が終わったあとあるときリビングで面と向かってこういわれた。

「あんた、実家に甘えて好き勝手するのいいかげんにしたら」

あぁ。
母親からショックを受けるのは2回目だった。
もうダメだ、一生この人の事を信じる事は出来ないし信じたくないと思った。
それまで引っ越ししようと一応貯めていたお金があったから、家を出た。

 

母親は父親を邪険に扱う。
父親は単身赴任で時々しか家に居なかった。
家に居る父親はゴロゴロしてテレビを見る。
母親はそれを見て父親に嫌みを言う。
いつの間にか、私も母親をマネして父親に嫌みを言うようになっていた。
そのくせ何か私の進路の事とか重要な事は、父親に相談しなさい、と言う。
一応母親と仲のいいつもりだった。

母親に怒られないようにさっさと風呂に入ろう。母親に怒られないように皿洗いを手伝おう。洗濯物も取り込んでおこう。部屋をきれいにしておこう。私の行動は無意識に母親に怒られないように、ってなってた。
(現に、母親と暮らしていない今の部屋の汚さったら!)

あのとき、実家に甘えるな、と言われたとき、もう一つ、こういわれた気がする(記憶がモヤモヤしている)。

「あんたの育て方を失敗した」

そうか、私は失敗作だったんだな・・・
私が単位制の高校に行ったのも、専門学校に行ったのも、就職したデザイン事務所を7ヶ月で辞めてその後半年くらいニートしてたのも、SEXの件も、私はお母さんの言う事を聞かなかったからいけないんだ。

(もしかしたらこの記憶は自分のねつ造かもしれない。でもともかくにたような事を言われたのは確かなのだ)

 

【310号室】さちんは今日も右に左折。《さちん》





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