長い不在を経て小沢健二が2017年に歌うこと ~流動体、歴史の連続性~

中学3年でスチャダラパーを知って、
それからしばらくして『今夜はブギー・バック』が発売されて、
その流れで、小沢健二とスチャダラパーで
オールナイト・ニッポン第2部のパーソナリティをやってたんだよ。

私は毎週、それをリアルタイムで聞きながらカセットテープに録音してた。
第2部って深夜3時から2時間放送するんだけどね。
20代後半の男子4人が、お気に入りの音楽かけたり、しょーもない話題で盛り上がったり、
そのわちゃわちゃした感じがすごく好きだった。
こーんな自由な大人になれたらいいなと思ってた。歌ももちろん好きだった。

そしたら、あれよあれよという間に小沢くんが有名になっちゃって、
ヘイヘイヘイでダウンタウンにいじりたおされたり、
背中に羽をつけて紅白に出ちゃったりして。
・・・うーん。と思ってたら、表舞台からフェイドアウトしていった。
(このあたりの経緯もファン目線では本当にいろいろあるんですが、大胆に割愛します。)

 

テレビで、いかにも一過性のブームみたいなキャラとして扱われるのは、
見てるこっちもイヤだった。

ラブでポップでハッピーなだけの歌を歌いたい人じゃない。
『LIFE』の前に発売された最初のソロアルバム『犬は吠えるがキャラバンは進む』は、
とても考え深げで、長いこと沈思黙考したあとの人が歌い出すみたいな雰囲気だったから。

だから、メジャーシーンから去っていったのがとても腑に落ちる一方で、
まあ当然寂しさはあったよね。

この17,8年で、新譜の発表は2,3度あった。
『LIFE』のころとは全然違う音楽なのが、「やっぱりそうだよねー」という感じ。
メジャー感ゼロ。
小沢くん的に、今はこういう音楽が流行ってるのかー。
と思いながらけっこう聴き込んでしまうファン心理(笑)。
いや、やっぱり彼のセンスが好きなのよ。

ニューヨークで暮らしてるとか、
パートナーの女性(現在の奥さん)と第三世界を旅していたとか、
たまにポツポツ情報が入ってきてた。
文章が発表されることもあった。
小さなライブハウスを回っていたことも。
そのひとつが、こないだサニーさんが書いてた「おばさんたちが案内する未来の世界」だ。

そのライブも、音楽というより映像で世界を見せていたようだし、
文章も、政治色・社会色が強かった。
欧米(や日本)が主導する資本主義社会に懐疑的で、欺瞞を告発するような。
原発についての文章もとてもシビアだった。
頭が良くて感性が優れていて、芸能界で疲れた人が
広い世界を見たらそうなるよなーという意味で、そういうのもすごく腑に落ちていた。

ただ、私と小沢くんの距離はすごく遠かった。
いや、今も昔も現実的にはものすごく離れているわけですが(笑)。

新譜も、文章も、ライブ(?)も、
かつて小沢健二を好きだったみんなにではなく、
一部の、ごくごく限られた人だけに届けばいい、
みんなで分かち合いたいわけじゃない。
というような、クローズドな雰囲気を感じていた。

それが、「お?ちょっと変わった?」と思ったのは、
3年前、最終回が近い「笑っていいとも」のテレフォン出演のときなんだけど、
それもまあ、綴れば長くなるので割愛して。

今回ですよ。
新曲『流動体について』発売。テレビ出演ラッシュ。

 

19年ぶりのMステ。
小沢も緊張しとったけど、出番の大トリまで、こっちの心臓がもたんわ!!
そして子どもの寝かしつけの時間とかぶるわ!!

ってことで、放送の1時間後ぐらいに録画で見たんですが。

放送に先立って、朝日新聞の全面広告で発表された長めのエッセイみたいなのを
(もちろん、わざわざコンビニで買って!)読んだ印象のとおり、
すごく肯定的な雰囲気にみちた歌だった・・・。

発声の仕方はね、『Eclectic』(2002) のころには既に変わってたんだよね。
でも、今もやっぱり小沢健二の歌だった。あんまりうまくないの(笑)。
サビの高音でちょっと裏返っちゃったりしてさ。

こんなに一生懸命歌わなきゃいけない歌を、また作ったんやね。
そしてテレビで歌うんやね。
って、ちょっと泣けた。

とても強くて、ポジティブな歌詞だ。
先進国ではない「第三世界」を3年も旅して、
いろんなものを見たと思う。

外国から、日本の震災や原発事故を見て。
ニューヨークに住んで、アメリカの問題も肌で感じて。
怖いくらいの文章もたくさん書いていた人が、
今、世界中が分断されててオスカー俳優も授賞式で政治的な発言をする中、
こんな歌を発表するのかぁー。

その強さと肯定感のみなもとが、「流動体」なんだなと思った。
それはね、「私たちは変わることができる」ということなんじゃないかな。

決して根拠のない楽観じゃない。
ぐっと上がっていくサビのメロディには、ドキッとさせる言葉があてられている。

「もしも間違いに気がつくことがなかったのなら?」
間違いがあった、という前提だよね。
気がつかなかったら、何か大変なことになってたみたい。

でも、「僕(たち)は間違いに気づくことができた」んだよね。
間違えても、気づける。
気づければ、変われる。
僕たちは気体にも液体にもなれる。
「数学的にも詩的にも、すい星のようにも」変化できる。
「言葉は都市を変えてゆく」

その根拠は?
それが、「歴史の連続性」なんだと思う。

これは、朝日新聞のエッセイで書いていたこと。
ぐっとくるエッセイだった。一読の価値あり。
また別のところで、いつか詳しく書きじゃくりたいのだけど。

 

「歴史は繰り返す」って、普通、あまり良くない意味で使われるよね。
2017年の小沢健二はそうではなく、

「良いものも、すてきなところも、
ずっとずっと昔から世界にはたくさんあって、今に続いている。」と言う。
「今、すてきなもの・面白いものの起源は、遡れないくらい古い」と。

それらは、長い長い年月を経て、
流動体として色や形を変えながら、今も、そこここにある。
たぶん、時に間違いに気づいて軌道修正しながら。
だから大丈夫。

「無限の海は広くて深く でもそれほど怖くはない」と歌う。
今では彼にも、自分の子どもがいるんだもんね。
『犬』や『LIFE』を聴いてた私たちも、子どもを育てる世代だ。
怖くないよ、大丈夫だよ、と言いたい。
そんな世界をつくりたい。

19年の不在。
彼にも、私たちにも、長い時が流れたけれど、
そのすべてを肯定された気がしたんだよねぇ。
(ファンは大げさ。)

長い月日で得たものを、みんなが大切にもって生きていく。
私たちは、歴史のすてきな連続性の中にいて、
昔も今もこれからも、
自由に、
間違いがないか 時に目を凝らしながら、
怖がらずに生きていける。





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