墨檄展(ぼくげきてん)進撃のブラック&ホワイト【鵜島朴同+龍一郎】

昔からお世話になってる鵜島朴同くんが二人展をやっているというので、最終日に伺った。
朴同君は水墨画というちょっと特殊なジャンルの絵を描いてる。

ミュージシャンとしての彼の相棒ケン・ジャクソンくんも当然帯同してた。

水墨画というものにあまりなじみがない。
緻密な作業でもある反面、大胆さが必要なんだろうなと想像する。

筆が墨を含み、紙に航跡を残す。
まっしろな大海原に舟を出すような気持ちなのかな?なんて思ってしまう。

二人展の相方「龍一郎」氏は、書。勢いでどしんと、真っ白い紙の上を這う。こちらは海上の竜巻のよう。

 

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美術にはまったく明るくないぼくの感想としては
もうちょっとこうだったらいいのにというところもあった。

大体において評論家や批評家の書き記すものはその人の了見の狭さを露呈しがちだけど、恐がらず書いてみる(笑)

静かな夜の風景の絵があった。
闇夜のカラスを見つけるようなモノクロームの世界。水墨画というイメージからはかなり離れた印象。
静かなものを描くのに、水墨画は適していない気がした。

夜の闇の下で静かに暮らす人々の生活を描き出すにはすこしたりない。
屋根瓦や薄明かりがぐっと迫ってくるほどではなかった。

 

それにくらべて、金魚の絵は。
描かれていない水のうねりを感じた。
止まっているのに動いてる。これが「描き記すことの醍醐味」ではないだろうか?

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白い紙に航跡をおとす。まっすぐな線が動き始めるためのカーブ。
ゆらゆらとうごく金魚の、ひれの泳ぎ返し。
そんな動きをとらえるのに、水墨画はすごくあってる。

 

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ただ、「水墨画とはこうあらねばならぬ」という囲いが強すぎる気もした。
描かれるモチーフに、偏執的な情愛を感じないものもあった。

しかし、そもそも水墨画というのはとてもクールな表現なのかもしれない。
武士はくわねど高楊枝的な。
対象への偏愛をさとられることなく、一発勝負の黒筆で命を刻むのが水墨画なのかもしれない。

その辺はわからないけど。

 

 

描くというのは魂をこめること。
画家は絵に命をとられる。
音楽家が音楽で寿命をすり減らすように。

モネが水の中で揺れる水草に狂気を感じながらも、恐ろしいまでの強迫観念をもって書き残した絵のように。狂ってるところをみたいと僕は思う。
描き手が「死ぬかもしれない」と感じてる絵を見てみたい。

 

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描かれない線。描かれない光。

白い紙を黒く染めて行く。つまりそこに書かれるのは影であり闇である。
光はえがかれない。最後まで手がつかないところが光として残るんだなあ。

太陽を背にした逆光の松の木は、踊る小人のように影をつくる。
その生命力を、影を残すのが水墨画。

そんな気がした。

 

朴同君には

動く生命力をはりつけにするような絵を描いてほしいなと思った。
偏愛を。

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水墨画というニッチな世界。
そのスタイルに寄り添い、伝承する。彼は書画会を運営し、生徒を指導しているらしい。
水墨画というジャンルの認知アップと、「こんなに楽しいものがあるんだよ」いうメッセージとともに裾野を広げていこうとしてることはとても素晴らしいこと。

指導することは「好きでやってる人」の責任でもあるしね。

 

だからこそ、作品には逆に「こんな絵を書いたらいいよ」という見本作のようなものではなく、狂気の沙汰を描いて欲しい。
朴同君のジャグジャギのアコースティックギターのように。

金魚の絵から感じた「狂気」を。

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でもね。
会場に次から次へとやってくるミュージシャン、その家族、友人たち。
笑顔であいさつをかわす人たち。
そんな「人が集い・ひとに愛される」朴同君がうらやましいなとも思ったよ。
これが、この人の波が彼なのかもしれない。





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