たとえば、私は茄子が嫌いです。

自分が知り尽くしてることを、全く知らない人に伝えるにはどうしますか?
本当に感覚でわからせるのが正解なんでしょうか。

たとえば、私は茄子が嫌いです。
茄子が大好きな人からすれば、嫌いになることを知らない状態ですよね。
互いに「なんで!?」があると考えます。

茄子は全く悪くなければ、二人とも悪くないですね。
「なぜ、どのように茄子を思っているか」の共有が必要、
と言いたいところですが、私ならまず実食します。
そしてそれを見てもらうことにしましょう。

・てらてらしてる表面に対して、なぜが柔らかいというギャップ
・味がはっきりせず、色味と感触で異物感満載
・そもそもあのフォルムが気持ち悪い
というのを顔と声色で伝え、実況します。

極め付けに、幼い頃怪しいホテルで出された茄子の田楽が
絶望的まずさ、見た目、感触だったことを話します。

「いや。おいしいやん」
しか言えませんよね。
こんばんは、知愛です。

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面白いこととか、突拍子もないこととかって
考えないと言い出せないじゃないですか。
好きなものとか知ってるものとか、
自分の中のありとあらゆる記憶から
いっちばんしっくりくる言葉を選ぶこと。

芸人さんとかラジオで喋れる人はすごいなって思います。

だって、同じように人間が話してるだけなのに
「この人と話したらおもしろいんだろうな」
ってわかりますよね。
不思議なのが、ここで「この人物知りなんだろうな」
ってならないところ。
なんなんでしょうね、あのペースって!不思議っ!

私は人と好きなものや知っているものを共有して、
引きずるのを楽しむ人間なので
尚更そういう人に憧れているのかもしれないです。

私も好きなあるラジオを同じく好きな友達と散歩しているとき、
突然そのラジオの冒頭のセリフを言えば続けてくれるのとか
テンション上がっちゃいます。

面白いのベクトルがあっている人といると、何をしてても何もしてなくても楽しいし、何より真剣な話もできるようになると思うんです。

「わかってくれてる」って感情が、そのベクトルによって生まれるというか。

それを芸人さんやらは、短い時間の中で話を繰り広げて
共有していくんです。
こんなに難しくって、頭を使った職業なのに
天然な人やぶっ飛んでる人が多いのはなんでだろうって思います。
いますよね、身の回りにもちらほら。

頭の回転が早いとすれば、
きっと「このシーンはあのゲームみたいや!」
って思ってしまって、つい言っちゃうみたいな?

面白いけど本当は賢いとすれば、
きっと「こんな話の流れでここでこれ言えばおもろい」
とかいうのを日々考えているとか?

少なくとも私にはその習慣はないみたいです。
自分のことを何も知らない人と楽しむのって難しい。
幼馴染やバンドのメンバーみたいな、ずっと一緒にいる子とは
あんなに自然とできるのにね!!!!
うどんのネギの形とかでも話しだせるもん!

それでも私は、いろんな人と喋るのが好きだし
私のことは知ってもらいたい。

茄子が嫌いな私ですけど、あなたはどうですか?

「じゃ、家まで歩いて帰ろ?」

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