太陽:感想【劇団イキウメの舞台を映画化】夜に生きるか、土に生きるか。

 

太陽:人類の歴史は同じパターンで繰り返される

21世紀。ウイルスによって人口が激減した。(バイオテロ自体も仕組まれたものかもしれないなと思った)

人類は二つの種族

  • 心身共に進化したが太陽光に弱く夜に活動する新人類「ノクス」
  • ノクスによる経済封鎖を受けて貧しく生きる旧人類の「キュリオ」

に分かれて生活をしていた。

ある村で、ノクスの駐在員が殺される(太陽にさらされ、燃え死ぬ)事件があって、その村は経済封鎖を受け、キュリオが言う所の「原始人」なみの生活をしていた。

元は2011年に劇団イキウメによって上演された同名舞台。
劇団イキウメとは前川知大(劇作家・演出家)が主宰する劇団で、「太陽」の舞台はこれまでさまざまな演劇賞に輝いたらしい。

なるほど確かに、全体を通して舞台劇のようだ。
演技の大きさも(笑)

人類には支配、被支配。この二種類しかない。
一見そんな風に見えないこともあるし、日替わりで入れ替わることもあるし、人でないもの(金や時間)に支配されてるものもあるけれど。

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太陽:支配する側へ編入できるなら、太陽を捨てられる?

経済封鎖が終わり、村に「ノクスへの変身希望者を募集」する知らせが来る。

未来を夢見る若者は、貧しくみすぼらしい村を捨て、新しい仕事に就くための勉強をしたいと願う。また別のものは幼少時に「母親が自分を捨ててノクスになった」という過去から、ノクスを恨んでる。

複数の過去や思いが交差する素晴らしいドラマ。
進化的な文明を享受するために「太陽を捨てられるか?」
ラピュタ的に言えば「土を捨てられるか?」というメッセージ。

ジブリ映画なら「土に生きる尊さ」が全面に出されるだろうけど、この映画はもう少し複雑だ。
そして、その複雑さが素晴らしいコントラストを作ってる。

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太陽:悩みのない人生なんてあるのだろうか?

地を這うような生活をする骨董品人種「キュリオ」たちは感情的で、暴力的で。
のをかける動物のようだ。
利己主義で肉欲に負け、知性のかけらもない。ただただよりあって悲しみを分け合うだけ。

一方、新人類「ノクス」は、生き物としての基本「種の保存」ができにくい。ここままでは滅びてしまう。なのでキュリオの子供たちを買い、(もしくは募集し)自分たちの種族へと向かい入れる。

僕が煩悩と悩みに付きまとわれるキュリオだったら、絶対にノクスになりたい。全てを捨てても。こんな小さな村にいても未来はないから。
悩みのない世界に行きたいと願うのは当然だ。

ただ、村の若いノクスの駐在員と言葉を交わし続けると、彼らもそこまで恵まれているわけではないこともわかってきた。すべてが遺伝子や知能指数で分類され、仕事もあてがわれる。支配される側の中にも差別や支配があるのと同じように、支配する側にも差別はある。

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太陽:エピソードもスピード感も文句なしの傑作

文芸大作にありがちな物語のスピード感の弱さがなく、静寂と暴力の対比も素晴らしく、出演者のテンションの上がり具合も楽しめる。時にコミカルに。

そして、時間をかけて生まれる友情と、簡単に壊れる友情がベーシックに流れてるところもいい。

憂鬱で胸が苦しくなるシーンが畳み掛けてきた後のエンディングの幸福感と、希望の光。
揺れるススキが本当に美しい。

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